無限に拡張するこの世界。そして,その何処にでも偏在しえる自分。それは,自分の心の拡張と同じなのかもしれない。偏在することの意味,を自分の心に問う。
検索エンジンで自分の名前を検索する自分探し「エゴ・サーフ」がブームとなっている。自分はこんなに認められているとナルシシズムに走ったり,逆に自分の情報を発見できず落ち込むサーファーもいる。
自分というものは,ある意味では,他者が見ている自分の集合体でしかない。あなたが思っている「あなた」は,あなたの殻の中以外にはどこにもなく,そんなものはこの世に存在していないのと同義だ。偏在している自分こそ「自分」。という考えもある,リアルでは,たしかにそれも一理ある。だから,エゴは,リアルの自分を探し求める。
だが,ワイヤードという空間の中で考えると,(ちょっとだけ妙な言い方をするが)ワイヤードとは基礎的に自分の心の中にあると云っていい。自分の心が,拡張して存在する空間。此処は,あなたの空間だ(リアルは,あなたのものぢゃない)。個々人の空間の拡張が,ひとつの空間を形作っている。ワイヤードに私がいないということは,あなたの心の中にあなたがいないということ。だって,ここはあなたのなかのあなたが,自由に行動できる場所なのだから。ワイヤードでの自分探しはエゴのためではなく,自分の心と向き合うための作業だ。
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